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My Favorite Song/Nik Kershaw "Find Me An Angel"

"Find Me An Angel", words and music by Nik Kershaw
ニックの歌を初めて耳にしたのは、20代の前半、エンジニアとして働いていた頃である。当時TVは寝たきりであった父の専用であったので、私はもっぱらラジオを聴いていた。ある日、FMで流れてきたのが、ニックの1stアルバム「Human Racing」と2ndアルバム「The Riddle」からのカットだった。
最初の「The Riddle」の民族音楽をベースにしたような曲が気に入り、すぐにカセットをセットした。その曲は、バルトーク「ハンガリー農民の歌」の現代アイルランド版のように聴こえた。そして、その歌詞は、イェーツと禅を足して2で割ったような内容だと思った。それまで一度も聴いたことのない実に奇妙な歌だった。
また、「I Won't Let The Sun Go Down On Me」にも、強い印象を受けた。私は、核とエネルギーをテーマにした歌として捉えた。こんな内容の詩を、ポップだが複雑な構成の曲に乗せてしまうソングライターがいることを、私は初めて知った。
が、当時私は、それなりの給与は得ていたものの両親を扶養していたために、懐は寂しく、レコードを買う余裕はなかった。
それから2年、3rdアルバムの「Radio Musicola」も、ラジオで聴いた。当時のテープは、今も手元にある。
その時流れたのは、Radio Musicola、Nobody Knows、Running Scared、Don't Let Me Out Of My Cage、Violet To Blueだった。
Radio Musicolaの構成の斬新さに驚嘆し、いずれお小遣いに余裕ができたら、必ずレコードを買おう、と思った。
ところが、それから1年、2年、一向にニューアルバムの発売される気配がない。
実際は、3年後の1989年に、ニックの転機ともいえる「The Works」が発売されているのだが、私はそれを知らなかった。父に続いて母が病気になり、そんな中、私自身も、参加していたプロジェクトの終了に伴い、転職。ラジオを聴く余裕などなかったのだ。
そして、ニックは、「The Works」発表以降、沈黙を保ってしまう。ダウン症の次男の24時間養育のため、在宅での楽曲提供業務にシフトしたと言われている。
AL DI MEOLAを聴きながら、日々が過ぎた。
比較的最近、ふと、ニックのことを思い出した。そして、CDを買わなければならない!という気持ちにかられた。早速、Amazonで入手可能なものは揃えた。窓族なので、Apple製品は持っていないのだ。
彼は、デビュー当時、アイドル扱いされていたらしい。私は、全く知らなかった。あの、社会風刺を歌う時でさえ視線は深く内面に向いているとしか思えない人物の、どこをどう勘違いすれば、アイドルに見えるというのだろうか?
届いたアルバムから流れるニックの歌声は、不思議な転調は、柔らかで深い歌詞は、健在だった。いかなる困難も、彼のギフトを損なうことはなかった。
ただ、寡作である。「The Works」から10年後の1999年に「15 Minutes」、2001年に「To Be Frank」、2005年にベスト盤の「Then and Now」、翌2006年に「You've Got to Laugh」、そして今年2010年には、過去の曲をアコギ1本でセルフカバーした「No Frills」を発表している。新曲だけ取り上げれば、26年間に7枚。
ニックの歌の大半は、自然をテーマにしたものでも、男女の恋愛をテーマにしたものでもない。自分という存在、内省と希望を語るもの、でなければ社会風刺だ。愛を歌っても、人々や家族への愛であり、咽ぶような情念はない。彼の歌は、内面から湧き上がるものを音として定着させた結果であり、調査とブレーンストーミングと計算を積み重ねて、販売企画を実現すべく意図して作り込むタイプの商品ではない。もし育児やボランティア活動を行っていなかったとしても、スローペースは、当然の帰着であろう。
私はニックの歌も曲も好きだが、何より、彼の書く詩が好きだ。インタビュー映像や記事を見ると、彼の音楽の才能以外の、人となりや生活にかかわる部分で、いくつかの共通項があるようだ。だから、共感するところ大なのかもしれない。ニックは私より少しだけ年上だが、同じ世代にあたる。私の耳には、ニックの歌は、「オレの人生はこうなんだよ、この年代には、こんなことを考えるものなんだよ」と、リスナーに対して記してくれる置き土産のように聴こえるのである。生きていくうえでの参考書のような歌、なのである。
そのようなニックの数ある名曲の中から、「15 Minutes」に収録されている、"Find Me An Angel"を紹介しよう。
この歌、リスナーによって、受け取り方が全く異なるであろう、実にユニークなものである。
私は想像する。もし、ラマチャンドラン博士が聴いたなら、「前頭葉の前部帯状回の活性化を歌ったもの」か、あるいは「右頭頂葉の皮質に電気刺激を与えた時の体験を歌ったもの」だと言うだろう。もし、リベット博士がこの歌を聴いたなら、「これは小人と意識を分けて歌ったものだろうが、一人称の'I'と指示を受ける側の'it'の使い方が逆なのではないか」と言うかもしれない。脳外科の医師なら「過剰連結症候群の症状を歌った面白い症例だ」と言うに違いない。杉山登志郎氏なら「この詩人は、幼児期に、何か凄惨な体験をしているのか、あるいは、発達障害があるのか」と問うかもしれない。もし、ペンローズ博士なら、同じイギリス人のよしみもあって、「意識について歌ったユニークな作品である!」と、ちょっとばかり褒めるかもしれない。もっとも、「わしはバッハやモーツァルトは好きだが、エレキぎゅんぎゅんのロックは分からんね」と続けるかもしれないが。
で、近所のスーパーで会う若い奥さんたちなら「こいつ、ちょっと、ヤバくね?」の一言で済ませてしまうだろう。そういう類の歌詞である。
歌詞が不思議ちゃんだから、奇妙な哀愁を醸し出す転調を得意とするニックの曲は、よく合っている。間奏の背後に聞こえる、潮騒と上空を舞う鳥の声。ニュートンやファインマンが海を見て宇宙に想いを馳せるように、その効果音は、リスナーを深い場所へといざなう。
ニックのアルバムの中には、(おそらく)エルトン・ジョンとのコラボ以外は、カバーも共作もない。自作曲のオンパレードである。
その姿勢、詩と曲と歌を、一人で手がけていることが、多くの歌で功を奏している。
この"Find Me An Angel"でも同様である。一例をあげるなら、たとえば、サビの奇数行の押韻である。「find me a stranger」と「find me an Angel」は、韻を踏むには無理があるように見える。だが、ニックは、「stranger」の「str」と「r」を小さく歌い、「ange」を強調することによって、韻を踏んでいる。その歌い方に無理がなく、非常に美しく聴こえるのだ。
もし、詩・曲・歌が分業ならば、作詞家は、作曲者や歌手のことを考えて、こういう韻の踏み方はしないのではないかと推測する。
そして、特筆すべきは、ニックの歌である。ヒット曲"The Riddle"ではさほど分からないが、この人の歌のうまさは尋常ではない。この"Find Me An Angel"が収録されている「15 minites」の中の「Billy」なんぞ「あんたの肺は高橋尚子選手か?」と突っ込みたくなるくらいだし、2006年のアルバム「You've Got to Laugh」では、柔らかな、そっと音を置くような、歌声を響かせている。
"Find Me An Angel"は、詩、曲、歌、すべてが揃った名曲のひとつである。
【ニックのオフィシャルサイト】で一部視聴できるので、ぜひ聴いてみてください。「15 Minutes」の4曲目です。
個人的には「15 Minutes」の「Somebody Loves You」や「Fiction」、「To Be Frank」の「Die Laughing」もお気に入りです。こちらも、ぜひ。
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