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My Favorite Music/Al Di Meola~ギターの神様~

ものごころついた頃から、中南米の音楽に囲まれていた。
私の父は、元来、日本特有のしっとりとした情緒には無縁の人で、メジャーコード進行のクラシックやタンゴを好んで聴いていた。
高血圧症を発症してからは陽気さは影を潜め、ずいぶん怒りっぽくなってしまったが、それでも最期まで繰り返し聴いていたのは、ラヴェルの「ボレロ」であった。
私はそんな父に似てしまったらしく、やはり、どこか日本的なるものに馴染むことができないでいる。
心落ち着く風景は、苔生した庭園や、月明かりに映える寺社仏閣、鮮やかな紅葉よりも、島影一つない視界の開けた海や、人の手の加わっていない草原や荒野である。
小学生の私は、小さなレコードプレーヤーで、ザビア・クガート楽団やフルビオ・サラマンカ楽団のシングル盤を飽きもせず聴いていた。とりわけ私の心をとらえたのは、バンドネオンの響きであった。
小学校に、1台だけ、伴奏用のボタン付きのアコーディオンが、あった。
放課後の音楽室で、「夜明け」や「アディオス・ムチャーチョス」を弾いては、一人悦に入っていた。
10歳頃のことだっただろうか、NHKの「世界の音楽」という番組で、「トルコ行進曲」をギター・デュオが速弾きしている映像を、偶然目にした。 その速弾きテクニックに度肝を抜かれた。そして、ふと思った。バンドネオンの旋律を、ギターで奏でたら、どんなに素晴らしいことだろう...。
お小遣いやお年玉を一切使わずに貯め、私はギターを買おうとした。だが、当時は、ギター=反社会的、というイメージが根強く、母の許可は得られなかった。
そこで私は、「いつか」ギターを手にするときのために、類似の楽器で、上品なイメージのものを提案して許可を得ようと考えた。そして、演奏の現場を全く見たこともないマンドリンを手にすることになった。家には1枚だけ、パリ・マンドリンクラブのシングル盤があった。これを繰り返し聴き、どのように楽器を持ち、どのように手を動かせば同じ音が出るのか、マンドリンを穴があくほど見つめて考えた。そうして、私は、トレモロ奏法を身に付けた。
それから3年、ようやくギターを購入する許可を得られ、お小遣いをすべてはたいて、練習用の安物のアコースティックギターを手に入れた。だが、何から学べばよいのか分からない。書店に行くと1冊だけ、楽譜集があった。「ギターソロで弾くスクリーンミュージック」というもので、知らない曲ばかり載っていたが、これを購入して、独学で弾き始めた。
高校生になり、私はアコースティックをエレキに持ち替えた。 バンドネオンの旋律を、エレキギターの哀愁を帯びた音色で置き換えられたら、どんなに素敵だろうと考えたのだ。
だが、エレキギターは、難しかった。当時は、安価で性能のよいヘッドフォンなど販売されていなかった。かといって、住宅街ではアンプをつないで練習するなど無理である。そもそも、それが理由で、ピアノを続けることをあきらめたのだ。
元来絵を描くこと以外については不器用なので、多少の練習では指が動いてくれない。エレキギターの上達はあきらめた。だが、フルビオ・サラマンカ楽団のシングル盤は、まだ飽きもせず聴いていた。
その頃、絵画で、私をとらえていたのは、スペインのシュールレアリスムだった。そして、スペイン語のテキストを買ってきて自習し始め、NHK-FMでは、スペインの音楽を選んで聴くよう心がけた。
そんなある日。 ラジオから、恐ろしく速弾きのフラメンコが流れてきた。それがパコ・デ・ルシアの音楽との出会いだった。
こんな音楽があったのか!と、びっくり仰天して、パコの名前を、ラジオの番組表に探した。パコが出演しているらしい番組を見つけ、カセットテープをセットして、開始を待った。
すると、2台のギターが疾駆しながら激闘するメロディーが流れてきた。
「地中海の舞踏」。
スーパーギタートリオのライブだった。超絶技巧に言葉を失い、ぶっ飛んだ。まさしく、ぶっ飛んだのである。
その演奏の中に、パコの音ではない、不思議な音色が、あった。1音1音が繊細で、響きまで計算しつくされているのに、超高速で駆け巡る音。私は、その音色に、すっかり魅了されてしまった。それが、アル・ディ・メオラのギターだった。
そして、アルディメオラが、ジャズにとどまらず、ラテン―クラシックの全てを含む、ワールドワイドな世界を創り上げる芸術家だと知り、私は、ディメオラを「ギターの神様」と崇めるようになった。
「地中海の舞踏」を聴いてから20数年、人生を投げ出してしまいたくなるような苦しいときも、神様の素晴らしい音楽があった。
音楽や絵画や詩について、「それで大儲けできるのでなければ、何の腹の足しにもならない」と言う声を、私はしばしば耳にするし、巷にはそういう考えの人もいるだろう。
だが、精神力を惹起することでしか立ち上がる術がない時、エネルギーに代わるのは、財ではなく、音楽や絵画や詩である。そういう人も少なからずいるだろう。
音楽や絵画や詩のない世界で、私は生きることができるだろうか。
スーパーギタートリオの「地中海の舞踏」にノックアウトされて30年、アルディメオラのギターの音色は、私の心の中にある。
リーダー作の中で、持っていないアルバムはといえば、World Sinfonia(1991), A Cenario(1983), Midsummer Night in Sardinia/Andrea Parodi Al di Meola、の3枚だけ。
最も好きなのは、「Misterio」(World Sinfonia / THE GRANDE PASSION 収録)だ。豊かな曲想、ダイナミックで繊細なアレンジ。速弾きのメロディーラインの煌くような流れ。
初期の作品では、「Fantasia Suite」の中の「Guitars of the Exotic Isle」が素晴らしい!絵画的なイメージ,ひとつひとつの音の響きの正確無比な完成度。
個人的に好きな曲を順にあげるなら、1.Misterio、2.Fantasia Suite,3.The Grande Passion,4.Azzura - Big Sky Azzura、、5.Orient Blue Suite、6.Ballad、7.Beyond the Mirage、8.Indigo...といったところか。
Amazonで購入したCDには、星を付けて評価を示すべきなのかもしれない。だが、私には、ギターの神様の曲を評価するなんぞ、恐れ多くてできない。
エレキの速弾きや、スーパーギタートリオの壮絶バトルばかりがクローズアップされがちだが、それはDI MEOLAの一面に過ぎない。DI MEOLAは、独創性あふれる曲を創ってアレンジし、それを他のギタリストでは真似できない正確なテクニックで表現する芸術家である。ギターの音色が好きな人には、ぜひとも「The Grande Passion」や「The Infinite Desire」を聴いていただきたい。
もちろん、定番の「Friday Night in San Francisco」は、忘れずに。
【Al Di Meola オフィシャルサイト】
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