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My Favorite Art/Ran Akiyoshi~寂と予兆の画家~

朽ちていくものの美,終焉の目覚め。寂と予兆の画家,秋吉巒。
Ran Akiyoshi, the Artist of "the Auguries and Sabi"
1982年の「美術手帖」の特集記事で,秋吉巒という画家の存在を知った。
もちろん,その「美術手帖」は,今も,大切に保管している。
いちばん好きなのは「めざめ」という作品だ。ただし,同じ「めざめ」というタイトルの作品が何点かある。私が好きなのは,深い緑の黎明の,上空に女性の顔が透けて見える作品である。
構図は大胆にして,筆致は繊細。
すべての作品は,共通して「寂(さび)」の肯定と,「予兆」を感じさせる。
秋吉の絵は,我々が「対極」と見なしがちな概念を,いとも簡単に包含している。
「村祭り」のように古木の香りが漂う土着の作品から,「天使の去った島」のように岩の存在感が前面に押し出された作品もある。有機的な木の建築物を東洋,無機的な石の建築物を西洋とするならば,東洋も西洋も超えたシュルレアリスム。
そして,「去る」と「目覚める」というテーマをレイヤーのように重ね合わせてみせる。「去った」絵を見ればそこには目覚めの予兆が,「目覚めようとしている」絵を見ればそこには朽ちていったものの幽かなイマージュが,たしかに垣間見えるのである。終わりと始まり。まさに特異点のような絵画である。
絵の背後には,存在が存在することへの畏怖が眠っている。
たとえばタンギーの作品のような,いわゆる予兆を描いた西洋のシュルレアリスム作品と秋吉の作品を比べると,西洋の作品では「無機的存在はあり,有機的存在がない」ことによって「存在が存在しないかのように見える」。一方,秋吉の作品は,「存在の痕跡がある,あるいは,これから存在が目覚める予感を感じさせる」ことによって,「存在しないことが,存在する」ことの意味すら醸し出している。
そして,最大の特徴は,その視点にある。
上空からの構図を想像するのではなく,計算するのでもなく,実際に脳内に再現して描いていることが一目瞭然である。画家は,体外からの視点をもって世界を眺めている。同じ視点を持った経験のある者ならば,画家の視点で,絵を鑑賞することができるであろう。秋吉と同じ視点で描かれた絵を,私は他に見たことがない。
秋吉巒は,その生き方も,すばらしい。社会的職業とライフワークを明確に分けていたという。社会的職業はキワモノ系の雑誌表紙や挿絵のイラストレータで,ライフワークとして絵を描いていた。イラストで家族を養い,絵は頼まれても1枚も売らなかった。そして,45歳以降,絵に専念するようになったという。
対価と引き換えの仕事は,何らかの枠組みの中で最大限の効果を発揮するものである。デザインとアートは違うとはいっても,アートもシーズとニーズの合致により成立するという意味では,多少の枠組みの中にある。秋吉は,対価と引き換えにしない部分を守り,その枠組みを超えた。これは,現在の,インターネット文化に通じるところがあるかもしれない。
秋吉巒の絵が世に出たのは回顧展である。数年前,ご子息が,父・巒の亡くなった年になり,「Illusion」という画集を出版している。これはAmazonで購入することができる。ご子息による一文と,夫人による的確なオビの文に,きちんと生きて,きちんと仕事をして,現世の生活者でありながら,自らの内面の豊穣を失わず定着させ続けた画家であることが,うかがい知ることができる。
脳の暴走の制御が困難な芸術家の作品には,自己愛がある。脳の特性を社会に黙認された,あるいは社会が黙認せざるをえなかった芸術家の作品には,他我依存と「自我のなさ」がある(ないからこそ,他の存在となり,それを極めて精緻に描ききる,熊谷守一のように)。社会的地位の上に腰を据えた芸術家の作品には,人間生命の肯定がある。自己愛も依存も肯定も,それらはすべて,この世界を受容する,まなざしであり,作品から,それの強烈なエネルギーを放つ。
そういったエネルギーは,私のようなタイプの者には,あまりにも賑やかに感じられる。それに比べ,秋吉の作品は落ち着いている。静謐をたたえている。
秋吉の作品は,子孫がその管理をしていくのであろうが,1ファンとしては,売られることなく,美術館が建設されることもなく,静かにどこかで眠っていてほしいと思う。そして,いつか,朽ちていく。
朽ちていくものの美をも包含した秋吉の絵には,それがもっともふさわしい。
現代では,多くのエネルギーを発するものが,幸福をもたらすように言われる。
結果的に,より多くの対価を得たものが,より良く生きたように言われる。
朽ちていくより,現状を保つことに,躍起になる。
そのような時代を見ることなく去った秋吉の絵は,ささやくように静かに,寂に対して「よし」と言う。
絵画「更衣」の階段の先を想え!
おことわり:私は、(絵画よりも、その方が有名な)秋吉の一連の雑誌のイラストについては、質感を表現する技術力以外には何もないだろうと思っています。それらは、生活のために仕事として割り切って描かれたもので、画家の内面の暴露ではないと捉えています。秋吉には、ニーズに合わせて、何でも描ききる画力があるからです。念のため。
Amazon「illusion―幻想画家・秋吉巒の世界」
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